むかし、東岐波から船木の市場まで、海産物、農産物を運ぶ街道があったそうです。現在は立派な道路が出来、昔の街道が草に埋もれています。先人の苦労を知るためにも皆の力で、街道を回復させ先人を偲んで歩きました。
会では、昨年春から1年かけて丸尾から船木への道を探す勉強会?を重ねてきました。基本と成るのは100年前の地図を国土地理院が復刻開示して入手した5万分の1の地図と関係する地区の郷土史研究会の機関紙などでした。
推定して歩いてみると、年配の人から昔は・・・・とゆう情報が得られました。
歩いているうちに、昔の道が判ってきました、湿地帯をよけて山裾を歩き、田圃の用水路の補修・点検を兼ねた道、集落のはずれにある庚申塚などの史跡それなりに昔の道であることを主張しています。
今回の道は丸尾から古原田池までの用水路沿いの道、東岐波の人が片倉の北向地蔵の信仰の道、宇部の人が参宮道路を通って片倉に来た道。
宇部村、西岐波村の役場から船木の庁へ伺いの文書を運んだ道でした。
丸尾から古原田下池、王子権現一の鳥居、真河内池、片倉北向地蔵、上請川、北迫、を通って真締川ダムへ霜降山の田代池を左に見て末信へ、昔は厚東川を渡し船で渡って、棚井から千林尼の石畳を通って船木の町まで約30kmをあるいて行きました。
来年度は、まだ、他にもあった、東岐波から船木まで行く道を探す仲間を募っています。
|